大阪市阿倍野区は、上町台地の南の高台に位置し、古くから大阪南部の交通の要衝として栄え、名所・史跡も多く、住宅・商業の町として発展してきた。とりわけ阿倍野橋・天王寺は、大阪の南の玄関口として各種の交通機関が終結し、1日平均82万人の乗降客が行き交う大ターミナルである。周辺一帯は、活気ある商業地区を形成しているが、区域全体としては、比較的閑静な住宅地として発展してきた。
また、阿倍野区の高齢化率は市内でも高位で、いきいきとした長寿社会の実現と、快適な生活環境をめざして、都市基盤の整備など、今日まで、ふれあいとぬくもりのあるまちづくりが進められている。阿倍野の歴史は弥生時代に始まったといわれ、「阿倍野」の地名の由来についてはいろいろの説があります。古代にこの地を領有していた豪族阿倍氏の姓からとする説、「万葉集」の山部赤人(やまべのあかひと)の歌からとする説、古地名の「東生郡餘戸郷(ひがしなりぐんあまべごう)」の「餘戸(あまべ)」からとする説などがありますが、豪族「阿倍氏」説が最も有力とされています。「あべの」の文字については、古来より、「阿倍野」「安倍野」「阿部野」などが使われていましたが、昭和18年に、もとの住吉区から分区して、阿倍野区が誕生したとき、区役所の土地台帳が「阿倍野」の字を用いていたので「阿倍野」の字になりました。。 |